1964年の無名選手から、1990年代半ばに巻き起こった「ノモマニア」、イチローの米野球殿堂入り、先発投手兼指名打者としての大谷翔平の現在の活躍にいたるまで、日本プロ野球選手がアメリカのメジャーリーグへ移籍することは、かなり昔からずっと続いてきました。MLBでプレイするためにアメリカへ飛んでいった日本人選手は合計64名もいて、そのうち8名は2021年時点でもまだ在籍しています。そういう歴史もあってか、MLBの各球団は常に、我が国日本から多くのスーパースターを発掘しようと奮闘しています。今回は、日本球界からメジャーリーグに移籍した選手の中で、最も優れた選手3名をランキング形式で紹介していきましょう!

 

     1.鈴木一朗

イチローこと鈴木一朗は、NPBからメジャーリーグに移籍した史上最高の野球選手です。オリックス・ブルーウェーブで9年間大活躍した後、27歳でシアトル・マリナーズに入団しました。ルーキーイヤーから10年連続で200安打、25盗塁、3割を記録し、安打数(242)、盗塁数(56)、打率(3割5分)を記録し、メジャーリーグでも大活躍します。特に2004年は、MLB最多記録となる262安打を放ち、打率.372を記録した過去最高のシーズンでありました。30代後半にさしかかってもプレイを続け、年齢を重ね衰えるどころか、キャリアの新しい章を歩み始めているような強さを見せつけていました。

 

     2.野茂英雄

野茂英雄は26歳のとき、日本プロ野球との契約を振り切り、メジャーリーグ入りを果たすためにあえて退団しましたが、それがすべての始まりとなりました。移籍後すぐにメジャーリーグで成功を収めた野茂は、「ノモマニア」という言葉が生まれるほどの人気を集め、その過程でさまざまなスポンサーを獲得していきました。ルーキー時代には236つという最多奪三振でナショナルリーグをリードし、1997年まで3年連続で200奪三振を達成し、トルネード投法で多くの打者を困惑させました。しかし、メジャー4年目になると、その効果は薄れ、ニューヨーク・メッツに移籍しました。2001年〜2003年にかけては再び復活を遂げます。2001年のシーズンには、ボストン・レッドソックスでメジャーリーグの奪三振王(220つ)に輝き、ドジャースに復帰した後の2シーズンとも好成績を収めました。結果、メジャーリーガーとして活躍した通算12年の間、総計1,918つの奪三振と9つの完封勝利を挙げています。

 

     3.松井秀喜

「ゴジラ」という愛称で呼ばれた松井秀喜は、日本の球団に入団した時から、いつかメジャーリーグでプレイすることを強く望んでいました。破格の年俸を断り、ニューヨーク・ヤンキースとの総額2,100万ドルの3年契約に合意し、移籍後すぐにその威容を見せつけました。最初の3シーズンは1試合も休まず、197安打(うち70本塁打)を放ち、総額5,200万ドルで契約をさらに4年延長し、日本人メジャーリーガーとしては史上最高額の年俸を手にしました。メジャーリーグにいた7年間のうち、2シーズンは怪我で棒に振りましたが、2009年のワールドシリーズでの活躍は、ヤンキースファンの記憶に残るものとなりました。このシリーズでは、フィラデルフィア・フィリーズを4勝2敗で下し、指名打者として3試合で8打数13安打、3本塁打、8打点という大活躍を見せたのです。日本人選手として初めてワールドシリーズで本塁打を放ち、日米両国でタイトルを獲得した史上2人目の選手となりました。